アディーレショック

優良誤認表示の広告の問題で、東京弁護士会は、弁護士法人アディーレ法律事務所に対して業務停止2月の懲戒処分を言い渡した。弁護士倫理を維持しながら事業の拡大を図るという方向に進んで行くことはできなかったのだろうかと、改めて残念に思っている。

既に、「何をしているんですか石丸さん」という記事にて、(東弁は)受け皿が揃わない懸念があっても二の足を踏んでいるような場合ではないと述べたように、そのようになること自体は仕方がないと思っていた。

ただ、実際に業務停止の効力が発生した結果、大変なことになっている模様なので、今回明らかになった問題点をまとめておくことにしたい。

 

弁護士会の懲戒手続に関する問題

今回の懲戒処分については、処分が重すぎるという意見と、混乱を防止できなかったのかという意見が見られる。

処分の軽重に関しては、具体的な被害がないから優良誤認表示を見逃して良いということではないし、以前の処分歴もあるので、必ずしも不当とはいえない。そして大き過ぎてつぶせないというのも本末転倒である。それこそ懲戒手続が馴れ合いだとかいわれてしまう。

ただ、懲戒手続上は、業務停止により迷惑を被る依頼者を救済するような仕組みが、制度的に整っていない。この点は難しい問題である。懲戒委員会が処分を議決するまで弁護士会の執行部は動きにくいということもあるし、一方で、処分発効までにタイムラグがあれば処分逃れの対策をされてしまうことが予想される。

これまでも、業務停止等により事件の引継ぎが必要になった場合には、受け皿を探して何とかしていたと思うが、今回は容易ではないし、今後も規模の大きい事務所に万が一のことがあった場合には同様の問題は起こる。対応策を考えるべきであるが難しい問題である。

 

懲戒された弁護士法人に関する問題

アディーレに関しては、特徴的な問題が二つあると懸念している。

一つ目は、事業構造の問題である。

いうまでもなく、テレビCMやチラシなどの広告に多額の資金を投入して積極的に集客し、大規模な全国展開を図りつつ事件処理は東京に集中させるというこの事務所のビジネスモデルは、法律事務所としては際立って特殊である。

ところが、業務停止中は広告が打てず、新規顧客を得ることができない。既存顧客についても辞任しなければならない。業務停止が明けてもレピュテーション低下による影響が大きい。

そうすると、「広告出稿で顧客誘引し獲得した報酬で更に広告出稿(以下繰り返し)」というサイクルが分断される。資金の流入は止まる一方、その間も費用が流出するから、どのような対処をするにしても事態は急を要すると見ている。

二つ目は、社員弁護士の無限責任の問題である。

アディーレは全国各地に支店を有していることから、必然的に多数の社員弁護士を有している1。これは、原則として弁護士法人の支店には社員を常駐させる必要があるためである2

そこで問題となるのは、弁護士法人の社員は法人の債務について無限責任を負うことである3

もちろん、そのような法人の社員になったのが悪い、弁護士なんだからリスクは知っていて当然だという議論もある。一応、そうだと思う。ただ、支店の名ばかり社員は、まだ前途がある人たちである。個人の責任を追及されるような事態は回避できないだろうかとも思う。

 

依頼者に関する問題

業務停止が2か月に及ぶ場合4、法人で受任していた事件は辞任しなければならなくなるので、従前の依頼者は一旦放り出されてしまう。

そんなところに頼んだ人が悪いんだから自己責任でしょう、それこそ司法制度改革の招いた帰結だよね、という考え方は当然ありうる。実際、当職もそのように思っていた。

ただ、よくよく考えてみると、依頼者の自己責任を問うには、きちんと判断できるための情報が依頼者に与えられてなければならないのではないか、という疑問が湧いてきた。

本件の発端となった優良誤認表示は、まさにこの点を損なう行為なのである。

そうすると、依頼者は別に悪いことをしているわけでもないのに、放り出されて不利益を被るのはおかしいということにもなる。

だから、着手金はもらわないで対応しますという有志の弁護士がいればとても善いことだと思う。一方、通常の事件と同じように着手金をもらって対応しますという弁護士がいるとしても、それは通常のお願いをしているに過ぎない。幸か不幸か、色々な弁護士が増えた時代でもあるから、そのあたりは、余裕があるか、熱意があるか、等々の各弁護士の事情で対応を決めればよいと思う5

なお、やり方によっては、ハゲタカだとかハイエナだとかといわれかねないので、一定の節度は必要だろうと感じている。

 

まとめ

最後に何がいいたいかといえば、題名のとおりである。色々な意味でショックである。

そして、このショックは次々と色々な形で波及すると予測せざるを得ない。なお懸念は尽きないように感じている。

 

 


  1. 弁護士法人の「社員」というのは、従業員のことではなく、業務執行権限を有する地位にある者のことである。これは株式会社でいえば株主兼代表取締役のような強力な地位である。ところが、アディーレの場合、支店に常駐している「社員」に業務執行権限があるのかどうか分からない。本来、弁護士法人の支店に社員の常駐を原則として義務づけているのは、支店所在地の弁護士会が、業務執行権限のある者を通じて弁護士法人へ円滑で実効的な指導監督を行うことができるようにするためであった。実際、名ばかり社員を通じてでは、本体の弁護士法人へのコントロールを及ぼせない。名ばかり社員が全国各地に配置されて支店展開がなされるといった事態は、弁護士法人の制度が想定していなかったことだと思われる。 

  2. 弁護士法30条の17本文 

  3. 弁護士法30条の15第1項 

  4. 業務停止の期間が1か月以内の場合とそれを超える場合とでは、その効果は異なる。顧問契約はいずれにしても解除しなければならないが、受任している法律事件に関しては、「業務停止の期間が1か月以内であって依頼者が委任契約の継続を求める場合」は、委任契約を解除しなくてもよい(「弁護士法人の業務停止期間中における業務規制等について弁護士会及び日本弁護士連合会の採るべき措置に関する基準」〔PDF〕の第2の1項1号で準用する「被懲戒弁護士の業務停止期間中における業務規制等について弁護士会及び日本弁護士連合会の採るべき措置に関する基準」〔PDF〕の第2の1号)。このため、業務停止の期間が1か月を超えた場合には、法律事務所の存亡に関わる事態であるということはいえる。 

  5. 本件では、懲戒された弁護士法人に所属する弁護士個人に委任することも選択できるとの案内が依頼者になされているようである。確かに、前述の日弁連の基準では、所属する弁護士が委任を求める働きかけをしないことが条件ではあるが、依頼者の求めがあれば、そのような扱いも可能である。そして、弁護士個人は自己の業務を行う必要に基づいて、業務停止中の弁護士法人の事務所を使うことができるようにも前述の基準は読める。ただ、そのような解釈ができるとしても、引継の態様によっては処分逃れをしているのではないかという疑問も出て来るようには思う。 

平成29年司法試験の結果について

今年の司法試験の結果の発表が、平成29年9月12日にあった。

そこで、昨年までのデータに継ぎ足して今年もグラフを作ることにして、若干の感想を述べてみることとしたい。

 

受験者数と合格者数

受験者数は昨年より932人も減少した。

今年は、総合評価の対象者が過去3番目に少ない3594人であった。択一試験と論文試験各科目の25%点で足切りされた人が多かったということで、不得意な分野を作らない勉強が大事だということではあるのだろう(月並みな感想ですみません)。

そして、合格者数は40人の減少となった。合格者1500人台というのは、各方面から叩かれにくい数字という消極的な意味があるのだろう。何人になっても文句をいう人は必ずいるわけだが、そのうちもっともマシなところということである。

 

合格率

対受験者での合格率は25.86%となり、昨年より上昇した。とはいえ、ほぼ4人に3人は落ちるのでそう簡単な試験ではない。

ただ、合格者数が大きく変わっていないので、合格率が上昇したのは単純に受験者が減ったからだというような読み取り方にならざるを得ないようにも思われる。

 

法曹人気の復活なるか?

さて、合格率の上昇は、法科大学院への入学者数の回復に結びついたり、法曹人気の復活につながるだろうか。

法科大学院への入学者数は年々減り続けていたから、司法試験の受験者数もそれに対応して今後も減り続ける。そうすると、資格試験の水準を維持する観点から、合格者数の水準をそのままにしていて良いのかという議論は出て来ると思う。

そうなってくると、どうにも先行きが読みにくい雰囲気である。そこで、結局、法曹になった場合の経済的なメリットが強く見込める環境にならない限り、資格取得のコストが高い法曹への人気は復活しないだろう。

え、大成功している弁護士もいる?それはごく一部であって、そんなに確実ではない。法曹志願者を増やすために弁護士の魅力をアピールしろとどこかから聞こえてくるが、不用意にいいとこ取りして悪徳商法の勧誘みたいになってはいけない。

 

まとめ

現職の弁護士たちからすれば、過当競争は避けたいので合格者をもっと減らせ、という議論はある。その点をどう評価すべきか、色々考えているが相変わらず難しい問題である。

とはいえ、司法試験の合格者数に極端な変動がない限り、当面は弁護士人口が減ることもない。従って、それがまともな競争になるのかおかしな競争になるのかは知らないが、競争環境は緩和されないということである。

当職としては、法曹人口の多寡にかかわらず生き残るための工夫に励むしかないようである。弁護士業界も人材が増えた分だけ多様になり、特に、若い世代は社会の変化に良く対応しているようにも見えるから、そういう動向を柔軟に見習う必要も強まっているようには思う。

 

 

クレサラ問題リターンズ

過去には、クレサラ問題で大変な時代もあったわけで、昔の記事でも次のように書いたことがあった1

貸金業法の改正は社会に劇的な変化をもたらしました。これは、大変な苦労をしながら消費者問題に取り組んできた弁護士たちの活動の大きな成果であると評価して良いと思います。弁護士が束になって本気で頑張ると世の中が変わることもある、ということをこの件では実感しています。

 

自己破産件数が増加に転じる

ところがどっこい、である。

今年の4月3日に、朝日新聞が次のように報じていた2

個人による自己破産の申立件数が昨年、13年ぶりに前年を上回った。多重債務問題で消費者金融への規制が強化されて減少が続いていたが、最近は規制対象外の銀行カードローンが急増。自己破産増加の背景にはこうしたローンの拡大があるとの指摘が出ている 。

 

金融庁の動き

社会の変化は本当に素早いものである。

さらに、8月24日の北海道新聞でも、次のように報じていた3

金融庁が、過剰な貸し付けが問題となっている銀行カードローンに関し、9月にも特別調査を実施する方針であることが23日分かった。全国銀行協会(全銀協)は3月に自主規制策をまとめたが融資残高は増え続け、国会や法曹界から多重債務者の増加を助長していると批判が出ている。金融庁は大手銀行を中心に適切に融資されているか調べ、実態を把握する。

さすがに、金融庁も黙ってられなくなったということなのだろうか。

銀行のカードローンは、銀行は看板とカネを出しているだけで、面倒なことは保証委託先の消費者金融に丸投げしている感もある。

そこで、テキトーな融資をしている事案もぽろぽろ出て来るような気がする。しっかり調査をしてほしいと思っている。

 

総量規制の成果

債務整理の実情はどうなっただろうか。

総量規制の成果として、過剰な借り入れをしている人は減ったのは実感する。昔は6社合計300万の借り入れをしていた、といった人が少なくなかった。

今では、そのような事案はあまり見かけない。個人の債務整理の案件でも、負債総額が100万前後に落ち着いているケースの方が多い印象である。

負債総額が100万円であっても、数社から借りて平均が年利18%だとすれば、月あたり1万5000円の金利の負担である。これ以外に元本も返さなければならないのだから、そう簡単なことではない。負債総額が圧縮されているとしても、支払が難しくなれば仕方がないから、債務整理をすることになる。

 

低賃金の影響

一方で、このような借り入れをしている人の給料が最低賃金付近に張り付いていることは、割と普通に見かける(=月20万円も行かない)。

人間、生きていれば何かとお金は掛かるのであり、切りつめるにも限界がある。

債務整理の方針を決める上で、近時、しばしばネックとなるのは、基本給が低いということのみならず、給料が上がる見込みはないとか、ボーナスは元々ないとかいった事情である。つまり、低賃金ぶりが著しいのである。

そうすると、負債総額が圧縮されている傾向にあったところで、自己破産を選択せざるを得ない。

 

浮かんでくる構図

ということで、私から見える構図は、

銀行
カネ余る→企業の貸出先ない→消費者に高金利で貸付→保証委託先から回収

消費者
賃金増えない→借金に依存→経済的破綻

というものである。これは一歩間違ったら革命前夜みたいな状態じゃないのか、という気がしている。冗談ではない。

もちろん、円安とか株高のメリットを享受できる向きには今の経済情勢は良好に見えるのであろう。それはそれで、大変結構なことだと思う。

しかし、残念ながら当職にはそのような世界は視界に入ってこない。むしろ、個人的には、今の経済政策ヤバくないかと感じている。お前の偏見に過ぎないとの批判はありうるだろうが、そのような実感である。

 

まとめ

今の私が出来るとすれば、相談に来たお客さんに、債務整理の手ほどきをしてお金の問題の悩みを和らげるくらいのことしかない。

お金の悩みを全面的に解決します!とまでは言いにくいのは、弁護士が債務整理をすることで債務をカットできても、お客さんが収入を増やす途を示すことまではできないからである。

仮に、生まれ変わることが出来るのであれば、貧困を撲滅する経済理論を開発するために身を捧げられないだろうかという思いつきが出てくるくらいには、いささか悔しい思いを持っている。

 

 


  1. 「行政活動とのかかわり(4)貸金業関係連絡会」/http://www.iwata-lawoffice.com/wp/?p=2187 

  2. http://www.asahi.com/articles/DA3S12874177.html 

  3. https://www.hokkaido-np.co.jp/article/127475 

中善並木を歩きつつ

東北大学川内キャンパスには、中善並木と呼ばれる通りがある。

その名称の由来について、林屋礼二先生による説明が記されたプレートが並木の横にある。その一部を引用する。

ここから始まる桜並木を「中善並木」という。1960年の大学祭で、法学部一年の学生たちが、アカデミズムだけでなく、大勢の学生が参加して楽しめる大学祭にしようと、焼鳥屋をだす計画をたてた。しかし、焼鳥屋では知性がないとして、大学祭実行委員会は、参加を認めてくれそうになかった。やむなく、学生たちは、研究室に中川善之助法学部教授を訪ね、彼らの気持ちを訴えた。

日本の民法学の泰斗であった中川教授は、「大学生には知性が必要だが、知性だけが人間を作りあげるのではない」といわれて、このグループの責任教官、すなわち、焼鳥屋「法一亭」のおやじとなることを承諾された。この先生の登場で、焼鳥屋の出店も認められ、喜び勇んだ学生たちのなん人かは一番町の本物の焼鳥屋に弟子入りして、鳥の焼き方、タレの作り方の特訓を受けた。その効あって、大学祭当日の「法一亭」は大盛況となり、かなりの収益があがった。

この収益金の使途を話しあったとき、中川教授の定年が翌年であることを知った彼らは、青春時代の思い出を作ってくださった中川教授の退官記念とするとともに、大学キャンパスの緑化にも役立てようと、これで並木を作ることを考えた。この計画には先輩たちからも賛助金が集まり、その結果が、この桜並木となった。

以上のとおり、「中善」という名称は民法学者の中川善之助先生に由来している1

大学祭で焼鳥屋をやる程度で知性がないというのでは、今の時代なんて知性のかけらもない学生ばっかりじゃあないかとか思うのだが、当時はそのような発想も根強かったのだろう。中川先生が助けてくれたことで焼鳥屋を開けた学生たちの感激は、大変なものだったのだと思う。

記念碑にも「若き日の友情と感激のために」と記されている。中川先生の退官後も、学生たちとの交流は続き、また、中川先生が亡くなった後も学生たちの交流は続いているようである。

 

歩いてみる

地下鉄の東西線が通るようになり、川内キャンパスへはとても便利に行けるようになった。キャンパス内の南北に並木が連なっている。

今年の8月は冷たい雨が続いてどうにも寒いのだが、せっかく仙台を訪ねていることであるから、並木道を往復してみた。

桜の時期ならばとても良さそうである。

 

思うこと

このような交流の証が東北大学の構内に今なお残っているのは、大変素晴らしいことだと思う。教員と学生の交流というのは、本来、こうあるべきなのだろう。

ところで、東北大学も、2013年にブラック企業大賞特別賞2を受賞するなんてことがあった。なかなか理想どおりに行くものではない。近年の地方の国立大は、研究も教育も何かと大変な様子である。

翻ってみて、私はどうであったろうか。法学部の先生方とは積極的に交流しようとすることもなく、どちらかといえば逃げ回っていた。優れた研究をしていても、取っつきにくい人や性格の悪い人もいないわけではない。ただ、そういう点も含めて先達の人格にじかに接することに様々な意味はあるだろうから、勿体ないことではあった。

最近はロースクールが出来たから、実務家教員も含め、教員と学生の間の交流もより密になっていると想像する。それはそれで望ましいことではある。中には、司法試験問題を漏らしてしまった人だとか、予備試験に流れる学生のことを心の貧困などと批難する人もいたらしいが、そのようなことは過渡期に生じる一部の病理的な事象であると信じたい。

以上、色々と雨の中歩きながら思った次第である。

最後に、まったく余計なお世話ながら、東北地方唯一となってしまったロースクールも含め、東北大学の益々の発展を強く願っている。

 

 


  1. 東北大学大学院法学研究科・法学部/http://www.law.tohoku.ac.jp/about/feature/ 

  2. ブラック企業大賞2013/http://blackcorpaward.blogspot.jp/2013/ 

2017-08-25 | カテゴリー : コラム | 投稿者 : Yoshitada Iwata

認定司法書士の締結した和解契約に関する最高裁平成29年7月24日判決について

以前の記事でも触れたように、司法書士が債務整理の分野に進出したことに伴い、その権限の範囲について問題が生じたことがあった。

その記事には、

そうすると、140万円を超える請求権の発生する事案で司法書士が関与して行った和解は、たとえ形式的には本人にハンコを押させたからといっても無効とされる余地が出て来るような気もします。

さあ、そうなると、和解無効を理由として紛争が蒸し返されることはあり得るんじゃないでしょうか。貸金業者はたまったもんではありません。

と書いているが1、締結した和解契約が無効になるかどうかという点は、必ずしもはっきりしていないところであった。

 

認定司法書士による和解契約の効力

さて、認定司法書士が締結した和解契約の有効性について、最高裁判所が判決を出した。

平成29年7月24日 第一小法廷判決2
認定司法書士が委任者を代理して裁判外の和解契約を締結することが同条3に違反する場合であっても、当該和解契約は、その内容及び締結に至る経緯等に照らし、公序良俗違反の性質を帯びるに至るような特段の事情がない限り、無効とはならないと解するのが相当である。

ということで、認定司法書士が締結した権限外の和解契約を有効としている。

これは、計算上約330万の過払いがあったはずだが、認定司法書士が200万円で和解したという事案である。

 

判決の評価

本来出来ない業務に関与している認定司法書士が有効な契約をできるか、という点に関して、最高裁は、特段の事情がない限り無効とはならないという判断をした。

しかし、弁護士法72条違反の法律行為は、公序良俗に反して無効であるとされる4。無効な契約に基づく行為は、どこまで行っても無効ではないのだろうか。にもかかわらず、有効になる場合があるというのが、今回の判決の内容である。

単純に考えれば、筋が通ってない。

確かに、単純に和解無効とすると法的安定性は損なうのだが、貸金業者の方だって認定司法書士の関与について見て見ぬふりをしていたはずである。代理人が司法書士なら140万まで!というのは法令上の制限なのであるから、分かっていない訳がない。和解無効のリスクがあることは承知していて当然である。

そこで、どうも釈然としない。

実際上は、公序良俗違反の性質を帯びるに至るような特段の事情を主張して争う、ということにはなるのだろう。

 

判決の影響

この判決で救われたのは貸金業者ということになる。

過去に認定司法書士が関与した権限外の和解契約について、蒸し返されて無効主張されても負ける可能性は小さくなるだろう。貸金業者はほっとしているはずである。

一方、権限外の金額となる和解に関与した認定司法書士の責任は、どうであろうか。

今回の判決では「当該認定司法書士は委任者から報酬を得ることもできないこととなる」などと言及している。そうすると、権限外の業務に報酬請求権がないことのお墨付きを与えたような感もあり、債務整理の報酬を返還しろという請求は生じそうである。実際にそこまで踏み切る人がどれ程いるのか分からないが。

また、出来ることと出来ないことをしっかり説明しないと、説明義務違反を問われる5

本来請求できたはずの額との差額まで損害賠償請求されるかどうかは、事案にもよるところであろう6

 

まとめ

以上のとおりで、以前の記事に書いたのと同様、140万円超の和解に関与した認定司法書士は依然として責任を問われるおそれが続いているので、この問題、どう収束することになるのか気になるところではある。

 

 


  1. 「司法書士の代理権に関する最高裁平成28年6月27日判決の衝撃」http://www.iwata-lawoffice.com/wp/?p=2946 

  2. (PDF)http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/944/086944_hanrei.pdf 

  3. 弁護士法72条。 

  4. 最高裁判所昭和38年6月13日第一小法廷判決(PDF)http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/792/053792_hanrei.pdf 

  5. 大阪高裁平成26年5月29日判決(最高裁平成28年6月27日判決の原審)では、慰謝料として1人当たり10万円を認容している。 

  6. 前掲大阪高裁判決では、回収見込額等の事情について必要な説明がなされていたことを理由として、この点の請求は認められていない。 

私と憲法

今日は憲法記念日であるから、日本国憲法下の治世における自分の歩みを振り返ってみることにした。

 

17歳のころ

樋口陽一先生の『自由と国家』を読んで、立憲主義は歴史上重要な役割を果たしてきたことを知った。

学校では多数決で物事を決める。だから、多数決で物事を決めるのは、当たり前のようにも思わされていた。しかし、なぜ多数決で決めるのが良いのか、教えてもらった記憶はない。

むしろ、この本からは、多数決でも決めてはならないことがある、ということを学んだように思う。

歴史が好きだったから良く勉強していたが、高い支持を集めた権力はむしろろくでもない政治的成果を残していることがしばしばあることに気がついた。立憲主義の思想は重要な価値を持っているのだ、と思った。

 

18歳のころ

首尾良く、京大の法学部に進学した。

初めて法学部の授業に出たのは、佐藤幸治先生の法学入門だった。難解だったが、授業をなぞるようにしてノートを取って試験を受けたら優がついた。後で教科書を読んだら、同じことが書いてある。大学の授業というのは、そのようなものなのかと誤解した。それ以降、法学部の授業にはほぼ出なくなってしまった。

但し、佐藤幸治先生の本を折に触れては読んで、理詰めで考える大切さを学んだ。

 

23歳のころ

真面目に勉強しないといけないと思い、芦部信喜先生の『憲法』を良く読んだところ理解が進むようになり、司法試験に合格した。

 

25歳のころ

弁護士登録していわゆるイソ弁になった。若いころは、弁護士は色々なお客さんの仕事を受けなければならないから、政治や宗教に関わるような問題はできるだけ個人的に発言しないように、との心境で過ごしていた。

 

28歳のころ

祖父が死んだ。当時行った香港の写真を祖父に示したところ、俺がいたころと変わってないとの言葉をはっきり残していた。晩年の祖父は朦朧としていたが、戦争の記憶は明確だった。強い印象が残っていたのだと思った。

 

31歳のころ

祖母が死んだ。祖母は戦争で前夫を亡くし、疎開先でも子供を亡くし、戦争には随分翻弄されたことを、死んでから知った。戦争が起こることはそれ自体が個人の尊厳に対する最大の脅威だからこそ、してはならないと憲法はうたっているのだ、ということを理解した。

 

32歳のころ

『アリストテレスの政治思想』という本が岳父から送られて来た。二千数百年前のギリシアの思想には、既に、幸福、平等といった、今なお通用している基本的な価値の萌芽が現れていたことを知った。

日本国憲法も13条で幸福追求権を、14条で法の下の平等を定める。同じ言葉が使われているのは何故だろう。飛躍するが、日本国憲法のうたう様々な価値は、これまで人類が世界的に積み重ねてきた英知の結晶ではないか、と思った。

 

33歳のころ

日弁連の憲法問題対策本部の委員を任された。憲法改正手続法の問題とかはあったが、改正の動きが現実化しているような雰囲気でもなかった。

日弁連の憲法委員会には、伊藤真先生がいた。私が京都にいたころは、受験生は猫も杓子も伊藤塾に行く雰囲気だった。ただ、滞留している人々も見かけたので、「やればできる。必ずできる。」という伊藤先生は、商売上手に過ぎるなあ、と思っていた。

しかし、ロースクールができた影響などもあったのか、活発に活動されるようになり正直驚いた。帯広や釧路にも来て頂いたこともあった。

 

35歳のころ

時の政権が憲法改正をしたい、しかも96条から改正をしたいということを言い出した。憲法改正について議論するのはともかく、憲法改正規定である96条から改正するということを言い出したのは、余りに立憲主義確立の歴史を無視している。強い抵抗感を覚えた。

そうしていると、憲法改正ができないなら解釈変更だなんて話が出てきて、何か雲行きがあやしいことになってきた。

 

37歳のころ

佐藤幸治先生が『立憲主義について』という本を出した。この人は、司法制度改革を失敗させておいて今更何をいっているのか、と憤慨しながら読んだ。しかし、日本国憲法は立憲主義の展開の現代の到達点だ、との指摘はそのとおりだと思った。

そうこうしていると、色々な反対運動もむなしく、安保法が成立した。国会の前で反対運動をしている人たちも見た。目の前をおかき屋の派手なトレーラーが走り去っていった。ただ、無力さを感じるだけであった。

混乱する国会の前

 

不惑を前に

このところ、毎日のようにもの凄い言説が聞こえてきて、耳を疑うことも少なくない。

生活保護受給者は努力が足りないらしい。労基法の規制はおかしいらしい。学校で道徳を教えなきゃならないらしい。日本には少数民族なんていないらしい。

強い人が、そういうことを平然と言い放っている。ここはどんなディストピアなんだ…フェイスブックを開く度、幻滅している。

民主制は為政者が交代することに価値がある。いつになったら、自由で平等な社会に向かって逆転するのだろう。むしろ、逆転を困難にする方策が次々と繰り出されている。そのうち、おまえのような変なことをいう奴は一般市民ではない、という理由で弾圧されるだろう。出口の見えないトンネルを前に、暗澹たる気持ちで過ごしている。

四十にして惑わず、というが、不惑を前に戸惑ってばかりである。

昔の人の考えが必ず正しいというわけでは無いかもしれない。しかし、それがなぜ今日まで通用してきたのか考えることは、なお、意義のあることだろう。私もまだ途上である。憲法記念日に限ったことではなく、日々、そのようなことを思っている。

 

 

2017-05-03 | カテゴリー : コラム, 憲法 | 投稿者 : Yoshitada Iwata

弁護士に 死ねというのか 法テラス(国選弁護報酬算定における具体的問題点の考察)

今日もがんばって釧路の裁判所に行くぞ!!

裁判員事件が釧路で行われる場合、概ね、9時半ころに開廷し、17時ころに終了する、というスケジュールで、連日開廷される。

ところで、開廷が9時半の場合、帯広から始発の汽車に乗っても間に合わない1

9時半開始の期日に出ようとすれば、朝早くから2時間強を掛けて、120㎞余りの道程を自動車で行かなければならない2

 

いわゆるクソテラスメソッドの発動

そこで、連日9時半から開廷しているときは、釧路以外のところから来た弁護人は、釧路に泊まるのが普通である。

しかし、法テラスは「一般国民の目からみても、宿泊することが真にやむを得なかったと認められる場合」に宿泊料を出す、という基準を持ち出してくる。平たくいえば、午前6時以降に出発すれば間に合う場合や、日付が変わる前に帰り着く場合には、宿泊料を出さない。

これによると、帯広の弁護人は、朝6時に家を出れば間に合うし、日付の変わる前には帰れるから、宿泊料は出ないことになるらしい。

つまり、帯広・釧路間を、自分で車を運転して連日往復しろ、というのである3

死ねというのか。

これは、二つの点で不正義であると思う。

 

不合理な待遇差

一つは、裁判員や検察官は、泊まっているからである4。にもかかわらず、税金を無駄にできないから弁護人は自腹を切れ、と法テラスはいう。

なぜ、弁護人だけが、違う取扱いに甘んじなければならないのであろうか。

等しきものは等しく扱え、というべきである。

裁判員に対しても、朝6時に出てその日のうちに帰れる人の宿泊料は出ないので、毎日釧路まで車で往復してください、とのご案内でもしているのであろうか。

まさかそんなことはないと思う5

 

タダ乗り

もう一つは、なぜ、弁護人は他人のための活動をしているのに、自腹を切らねばならないのかということである。

そもそも、裁判員事件が始まったために、帯広の弁護人は、裁判のためにわざわざ釧路に行かなければならなくなった。新たな負担を強いておきながら、国民のための制度だから我慢しろというのか。

しかし、どんなに裁判員制度が国民のためによい制度であったとしても、その実現のために、特定の人間に特別な犠牲を強いるのは誤っている。

それは、単なるタダ乗りである。

釧路での宿泊料は比較的高くないが、それでも、連泊すれば万単位の出費にはなる。これは実費である。本来は、弁護人が負担する謂われはない。

何も、弁護料を上げろというのではない。せめて実費くらいは出してくれないだろうか。

 

いつまでも 法の光は 差し込まぬ

このような扱いだと聞いて、さすがに、法テラスの事業に協力する気が失せてしまった6

もちろん、法テラスを使わないと、弁護士の助力を得られないというお客さんは、いる。そういう人からお願いを受けてどうにかしなければならない、という場合には多少悩むと思うが、法テラスの側からあれやれこれやれと言われるのは、もうイヤだ、というしかない。

力及ばず、無念である。

 

まとめ

法テラスが大変勿体ないことをしているなあ、と思うのは、せっかく多士済々な弁護士各位の協力を辛うじて得られているのに、その能力を生かす努力をしていないことに尽きる。

むしろ、やる気を殺ぐようなことばっかりやっている7

弁護士のやる気を損なわない頼み方をしてくれるのであれば、これほどまでに不満の矛先を向けられるようなこともなかったと思うので、誠に残念である。

 

 


  1. 平成29年4月1日現在、帯広からの始発は、帯広発9時26分→釧路着11時00分の特急スーパーおおぞら1号である。注意すべきことに、この路線の列車は遅延することも少なくない。実際に、当職も判決言渡の開始に間に合わなかった経験がある。 

  2. 当たり前であるが、自動車の運転をできることは、弁護人となるための要件ではない。そこで、自動車で移動できない弁護人が帯広で選任された場合、釧路で連日開廷される期日に往復できないという問題がある。 

  3. 当会の支部所在地から釧路へは、運転手付きで移動する人や、日帰りする人も、いないわけではない。しかし、前者は例外的であるし、後者は連日往復するとなれば相当な無理があり、訴訟活動への集中力が削られるであろう。少なくとも、連日裁判員事件に出廷し、法廷の準備もしながら、毎日片道120㎞の道程を自分の車を運転して往復する生活を1週間続けたら、当職は過労死すると思う。 

  4. 例えば、以前の釧路地検の検事正が書いた文章を見ると、「平成23年2月初旬までに行われた合計4件の裁判員裁判において,選任された裁判員34人(補充裁判員を含む)のうち,審理期間中釧路に宿泊した裁判員は20人にのぼる。」とある。http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/kushiro/page1000057.html 

  5. もちろん、そんな扱いをすれば、釧路周辺以外の裁判員候補者が呼び出しを拒絶する事態となるのは容易に想定されるから、できないと思う。なお、付言すると、法テラスは、国が設立した組織であるし、国選報酬算定を担当する国選弁護課長は、裁判所からの出向者が務めている。 

  6. 釧路の地方事務所は、当地の実情を承知していたから、どうか帯広の弁護人には宿泊費出してやってくれ、と強力に押していたようである。唯一の救いである。問題は、せいぜいグーグルマップみたいなもので経路検索する程度で実情も知らずに費用の算定を行い、弁護人から宿泊費を必要とする事情をいちいち主張して異議を出さない限り宿泊費を出さず(なお、異議を申し立てて必要性を主張すれば出るようである。)、当初の算定には誤りがなかったなどと強弁する法テラスの総本山である。 

  7. 例えば、普通に考えて必要な費用であっても、異議が出るまで無視を決め込むという姿勢はどうにかならないものか、とでも言おうと思ったが、もはやどうにもならないのだろう。費用の不払いをする者からの頼みごとを忌避するのは、一般国民の目から見ても、普通の態度である。何も、法テラスが憎いから特別に厳しいことを主張しているわけではない。 

日弁連総会の投票方法に関するメモ

日本弁護士連合会の総会は、予算や会則を議決する権限を有する重要な機関である(日本弁護士連合会会則34条)。

ただ、そもそも出席しない会員が圧倒的多数であるし、委任状だけ出して出席しない会員も多数であることから、どのような手続により議事を行うのか会員に知られていないようにも感じられる。

たまたま、当職は、続けて臨時総会に出席する機会を得たので、総会での投票の方法について覚えている範囲で記録を残しておくことにしたい。

 

総会の委任状

一般的には、次のような記載のある全部一任の委任状を、空白部分(受任者及び受任者の登録番号)を白紙のまま出すよう暗黙の命令みたいなものお願いがあることが多いであろう。

代理人選任届

私は     会員(○○弁護士会所属:登録番号     )を代理人として選任し○○○○年○月○日開催の日本弁護士連合会定期or臨時総会の各議案につき議決権を行使する権限を授与するとともに、同総会における議長及び副議長の選任、動議、議案の修正並びに原議案と関係する事項に関する議案についての各賛否その他一切の議決権の行使は代理人に一任しましたのでお届けします。

事前配布される総会の議案書には、全部一任する委任状の書式しか添付されていない。ただ、その形式でなければダメということではなく、次のように、個別の議案への賛否を表明できる書式も通用している。

なお、私の各議案についての賛否は、下記(○印)のとおりです。

議案\賛否 賛成 反対 賛否一任
第1号議案 預り金規程の一部改正  ○
第2号議案 依頼者見舞金制度

賛否がバラバラな複数の委任状を預かっていても大丈夫で、総会に出席した代理人は議決権を分散行使することができる扱いとされている。

当会でも、昨年までは全部一任の委任状により案内していたので、議決権が分散行使できることを知らなかった会員もいたようである。実際、ある大ベテランから「あれは何で全部一任しなきゃならんのか疑問に思っていた」と言われたことがあった。

 

総会での投票方法

総会に行くと、受付で日弁連の人に行使する票数の確認をされる。

全部一任の委任状を預かっている人は、委任状の通数が書かれたカードを渡される。

個別の議案に対する賛否を明らかにする形式の委任状を預かっている人は、最初に審議される議案について、賛成及び反対の各票数の書かれたカードをそれぞれ渡される。議案が複数ある場合には、預かっている賛成と反対の各票数が議案によって変動することもあるが、その場合、各議案の投票前に会場から出て票数の書かれたカードを日弁連の人に書き直してもらう手続を行う(やや面倒)。

なお、単位弁護士会の会長の持っているカードは「会長」と記入される。

これらのカードを持って会場に入る。投票時には議場が閉鎖され、それぞれ次の順番でカードを持って手を挙げる。

  1. 賛成する出席者の票
    日弁連の人は上がった手の数を数える。
  2. 賛成する代理の票
    日弁連の人は上がったカードに記入されている数を数えて合計する。
  3. 賛成する弁護士会の票
    日弁連の人は「会長」と書かれたカードを上げている手の数を数える。
  4. 反対する出席者の票
    以下、1~3で述べた手順と同じである。
  5. 反対する代理の票
  6. 反対する弁護士会の票
  7. 棄権する出席者の票
  8. 棄権する代理の票
  9. 棄権する弁護士会の票

以上が精密採決を行う場合の手順である。

もめていない議案は、精密採決せずに賛成多数を議長が認めることもある。

議決権を分散行使する場合は、反対、賛成、棄権の各票の投票機会の都度、各票数のカードを持って手を上げて投票することになるので、上げたり下げたりと忙しくなる。

(以上、間違いがあればご指摘いただきたい。)

 

問題点その1

個別の議案について賛否を明らかにする形式の委任状による投票が一般的になればいいのではないかと思っていたが、問題はそれでは済まないようである。

委任状による投票がメインである限り、委任状提出の有無や、その投票内容は他の人に分かってしまう。すなわち、投票の秘密が保障されないという問題がある。結局、自由に投票したくても、ボスの命令だとか派閥のしがらみなどから逃れられないことが多いだろう。

当職はそのような問題の存在に気が付けなかったので、遺憾であった。

それで、もはや技術的にも難しくないので、電子投票を実施しろとかという意見も聞こえてくる。今後の課題であろう。

 

問題点その2

なお、電子投票などの導入で投票率が上がったところで、変化は起きないであろうという意見も聞かれる。

沈黙している者が最大多数であることには変わりないだろうから、ある程度はそうだと思う。総本山に噛み付いて盛り上がっているのは、一部の変わった人であろう。

しかし、委任状集約の原動力と思われる、大規模会における派閥の求心力が今もなお維持されているかどうかは、真面目に考察すべき問題である。バラバラになった若手が糾合するきっかけがひとたび生じれば、どこかで雪崩が起きる可能性はある。

そういう可能性も見据えて、宥和的に連合会の運営をしていってほしいと願うのだが、大丈夫だろうか。

誰が船長になっても、大きな船を立て直すことは難しい。舵取りを間違えて本当に沈没しないか、大変不安である。

 

日弁連臨時総会を終えて

臨時総会の結果

平成29年3月3日、日弁連の臨時総会がありましたので、弁護士会館に行ってきました。

結論からいえば、提出された議案(預かり金口座規制・依頼者見舞金・少年、刑事の特別会費減額・法律援助基金の特別会費減額・会長選挙・処置請求・総会定足数)は、全部可決されて終わりました。

精密採決を行った議案についての票数は次のとおりでした。賛成票が圧倒しているようにも見えるのですが、出席者数で言えば全自然人会員1の数の3分の1を下回っていますし、反対する単位弁護士会2の数も少なくありません。

  1. 第2号議案(依頼者見舞金)
    賛成9848・反対2679・棄権88
    このうち弁護士会の票は、賛成37・反対14・棄権1
  2. 第8号議案(総会定足数)
    賛成9814・反対2179・棄権37。
    このうち弁護士会の票は、賛成34・反対16・棄権2

 

委任状騒動

さて、今回は大変な騒動が勃発しました。

総会に関する情報収集に鋭意努めていた当職は、開会後間もなく、「委任状が少なくとも3通変造されている」という爆弾が投下された状況をキャッチしました。

なるほど、確かにフェイスブックに上がってきた写真を見ると、委任状上の受任者の表示が東弁会長の印で訂正されて書き換えられています。しかも、書換後の受任者の名前は東弁の前会長です。

単位会の会長は委任状の認証はしますが、既に記載されている受任者を変更する権限はないはずです。そこで、1号・2号議案を審議している最中に、問題があるから委任状を調査しろだとか、総会を無効にしろとかという意見(動議?)が出てきました。

ただ、これらの意見については、議長は取り合わず、何事もないように最後まで手続が進行しました。

 

雑感

委任状の変造騒動については、全部一任の委任状の扱いが従前から適当だったのではないか、という気がしています。

どのような原因であるかどうかに関係なく、人の代理を仕事としてやっている弁護士が委任状絡みのトラブルを発生させるとかまあ本当にお粗末なことをしでかしてくれたなあ、というのが率直な感想です。

全体として、委任状騒動の件も含めて、緊張感を欠いた総会でした。委任状の数で既に結論は決まっているからでしょう。妙なところで笑いが出たり、参加していた一人としては気持ち悪かったです。

「9時何分の新幹線で大阪に帰れないから議事を進めろ」という趣旨の意見を述べた人もいましたが、重大な議論をしているのに、大阪の人帰られへんとか言うてる場合か3、と思って一人でカチンと来てました。

議案は全部通りましたが、この先の連合会の運営が思いやられる結果であったと思います。僭越ながら、大変心配です。

 

 


  1. 平成29年2月1日現在、39010名である。 

  2. 北海道に4、東京に3、その他府県に各1の、総数52会である。 

  3. その程度の覚悟で総会に出て来るなと言いたい。なお、加古川の人を含む新大阪以遠姫路までの人は、東京駅を21時23分までに出発すれば帰ることが可能である。 

依頼者見舞金に反対する意見

平成29年3月3日に日弁連の臨時総会が行われましたので、多少の準備をして、依頼者見舞金制度に反対する意見を述べてきました。

次のような内容です。

 

釧路弁護士会の岩田圭只です。

反対の意見を持つ当会の少数派会員を代理するのに派遣されましたので、一言述べさせてください。

 

ここにいる皆さんは、不祥事を撲滅しなければならない、との気持ちで全員一致していると思います。

しかし、一方で、この見舞金制度は、不祥事を防止するものではない、ということも、当然皆さん理解しているはずです。

 

それでも、なぜ、このような制度を導入しなければならない、というのでしょうか。

議論の順番が、逆ではありませんか?

あってはならないことを、起こさないためにはどうするか。

それを先に議論する方が、より本質的ではないのでしょうか。

まずは、本気で予防策を議論すべきだったのです。

反対するなら対案を出せ、という研究者もいるようです。

言っているではないですか。

例えば、フランスのカルパ制度を見習って制度を作ることも考えられるでしょう。

より安全に人の資産を管理できないか、まずは、皆で知恵を出し合いましょう。

 

このような見舞金制度を、現執行部は、ゴリ押ししているように見えます。

ろくな議論もなく、強権的な会運営を行う執行部は、猛省すべきです。

そんな会運営をしながら、外に向かっては、立憲主義を守れなどと良く言えたものです。

 

ここにいる皆さんは、不祥事を何としてもなくさなければならない、との気持ちで一致しているはずです。

ここにいる多数の弁護士の英知を結集すれば、それは可能なことです。

やればできる、必ずできる1んです。

まず、全国の会員と弁護士会が、心と力を一つに合わせて2、不祥事の根絶を図るために頑張りましょう。

最初に取り組むべきは、不祥事の防止です。

見舞金を払って適当にお茶を濁すということを、先にやるのではないのです。

 

反対意見も根強い中、このような制度を導入すれば、必ずや禍根を残します。

そして、日本弁護士連合会の「統合」が損なわれることを、私は、強く懸念しています。

私たち弁護士は、日弁連という大きな船3に共に乗っています。

しかし、このままでは、この船が沈むことは避けられません。

それどころか、船頭自ら、船を沈めるようなことをやって、どうするんですか。

 

そんな日弁連の姿を、私は、見たくありません。

以上、反対の意見を申し上げます。

 

さて、結果としては、依頼者見舞金制度についての議案は可決されました。

不祥事とは関係ない会員、特に若手の会員もこのような制度による負担を必然的に被ることになると、大変申し訳なく思います。

この制度の運用が順調に進むかどうか極めて強い懸念がありますが、不祥事防止のために何か良い知恵を出せないかどうか、そこは引き続き良く考えていきたいと思います。

 

 


  1. 分かり易く司法試験界のカリスマに倣った。 

  2. 前会長の良く用いていた言い回しである。スローガンとしては結構だと思うのだが、言うだけではダメなのではないかと感じている。 

  3. このとおり用意してきたところ、たまたま、当日の会長による冒頭あいさつでも同様の例えがなされていたので、驚いた。他の幹部が言っているのが聞こえてきたこともあるので、このような言い回しが流行っているのであろうか。確かに、沈みゆく船である、という含意を持つ例えなのであれば割と的確なのかもしれない。 

同姓婚-私たち弁護士夫婦です

南和行弁護士の『同性婚-私たち弁護士夫夫です』(祥伝社、2015)という本を読みました。

この本では、同性婚に関する法律問題、憲法問題などが検討されていますが、今の家族法をどう見るかという観点からも大変参考になりました。既存の婚姻制度の枠組み以外で共同関係を構築しようとすると、法的保護がないことで様々な問題が発生する、ということが良く分かります。

 

同姓婚

まったく話は変わって、私は2007年に従前の勤務先を寿退社し、それから配偶者と共に弁護士法人を立ち上げていますが、元々、私も配偶者も氏(姓)は「岩田」です。

この氏はそれほど少なくないとしても、例えば、田中さんや鈴木さんや佐藤さんほどは多く見かけたりするわけでもありませんから、それなりに稀なことではあります。

 

法律婚の意味

さて、氏の呼称が元々同じであれば、事実婚でも法律婚と見かけは同じという気もします。

しかし、見かけが変わらなければ、逆に法律婚には固有の意味が出てきます。例えば、事実婚では夫婦のどちらか突然死んだ場合には相続財産の処理が極めて面倒なことになりますし、また一方が突然認知症になったり重度後遺障害を負ったりするとこれまた何かと大変です1。子供が生まれれば認知の必要も生じます。

そうすると、名前が変わらないなら、法律婚にしといた方が何かと面倒は少ない、ということにはなります。

 

法律婚の問題点

法律婚をするとなると、民法750条によりいずれかの氏を称することになりますが、元々の氏の呼称が同じだと、事実上この問題に直面しません2

もっとも、どちらを戸籍の筆頭者にするのかという問題はあるのですが、結果的には私が筆頭者になりました3

ただ、このあたりが問題の核心ということではあります。

民法750条が婚姻後の氏をいずれかに定めるとしているのは、形式的には男女平等な規定だということにはなりますが、男性側の氏が選ばれることが多いという慣習の存在を通せば、一般的には女性が氏を選択する機会を奪っているのだともいえます4

 

婚姻後の実情

婚姻後何か変わりがあったかというと、私はともかく、戸籍上は氏を変更した配偶者も、諸々の不便を感じないで済む利点はあったようです。

例えば、ハンコを作り直す必要がなく、銀行口座の名義も変化せず、戸籍上の氏名と職務上の氏名との食い違いをいちいち証明する必要が出てきません。なお、どうなるのかと思ったのですが、外形的には変わってないでしょということで『自由と正義』には公告されませんでした5

 

通称使用の負担

氏名が変わることのとらえ方は人それぞれかもしれませんが、実際問題としては何かとややこしいことが生ずることはあります。

特に、自分の名前を前面に出して仕事をすることが普通である弁護士界隈では、深刻な問題だということが聞こえて来ます。

例えば、銀行でも、裁判所でも、法律上の氏名と職務上の氏名が違うことをいちいち証明しなければならないと不利益が現実化します。実際に、金融機関によっては職務上の氏名では口座開設できないという場合もあるように聞いたことはありました。

そして、婚姻中は、職務上の氏名と法律上の氏名の食い違いが生じ続けますから、本人確認を要する場面で、両者の同一性を証明する負担が常に生じることになります。

 

最高裁判決

ご承知のとおり、最高裁は民法750条の規定は合憲であるとの判決を示しました6。この判決もいかがなものでしょうか7

婚姻しても従前の氏を名乗りたいという人は構造的な少数者であるように思います8。そうすると、裁判所が救済してくれなければ救われる機会はあるのかどうか分かりません。

そこで、その役割からいえば、最高裁が違憲判決を出すべき場面だということで期待はしていたところでしたから、大変残念でした。

 

まとめ

以上、氏の制度は、単なる利便性だけの問題ではないという考え方もあるでしょうから、夫婦の氏をどうするかという問題の答えを導くのは難しいことではあります。

しかし、婚姻の前後を通じて名前が変わらずに済めば、確かに諸々の不便はないといえますし、利便性とは関係なく名前を変えたくない人もいるでしょう。そうであれば、少なくとも、選択的な夫婦別氏の制度は導入してもいいんじゃないかということは思っている次第です。

 

 


  1. 事実婚の場合に相続や後見などの局面でどのような問題が生じるかという点について、同性婚の場合を主とした説明として、南和行先生の本に詳細な説明がなされていることは参考になる(前掲書72~109頁)。 

  2. なお、この点に関しては、「夫も妻も婚姻前の氏を完全に失って、別個の新しい氏になる」という見解だとか、「夫婦の従来の氏の呼称が同じ場合には、夫婦はいずれも改氏せず、離婚、復籍しても氏には変動をきたさない」といった説もある(青山道夫・有地亨編『新版注釈民法(21)親族(1)』353頁〔有斐閣、1989〕)。 

  3. 女性が筆頭者となっている戸籍を見ることは離婚後に戸籍を新しく作ったケースを除けば極めて稀で、体感的には1割未満であるように感じられる。実際の統計上も、そのような数字のようである。 

  4. 夫婦別姓訴訟における高橋和之先生の意見書に詳しく論じられている。(PDF)http://www.asahi-net.or.jp/~dv3m-ymsk/takahasi.pdf 

  5. 今では掲載が省略される場合があるが、当時は弁護士の氏名変更は基本的に公告されていたという記憶である。 

  6. 最高裁判所大法廷平成27年12月16日判決(PDF)http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/546/085546_hanrei.pdf 

  7. 特に多数意見が「しかし、夫婦同氏制は、婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく、近時、婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ、上記の不利益は、このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである。」と判示している点は、前述のとおり通称使用をすることでむしろ不利益が生ずることもあると思うと違和感を禁じ得ないし、また、通称使用が本当に社会的に広まっているかどうかも実際のところ疑わしい。 

  8. 婚姻する人々の総数の2分の1よりもその人数は少なくなるはずであるから、氏の変更により不利益を受けたと感じる人は、常に社会内の少数派の立場に置かれることになると思われるのだが、どうであろうか。 

再生可能な法律事務所

弁護士の扱う「再生」というと、事業再生などが思い浮かんでくるところです。

しかし、北海道の場合は、歴史的な蓄積の関係もあって企業の金融資本が比較的薄いという特性からか、なかなか事業再生の目的達成が難しいという実情はあるようです。

そこで、事業再生を企てても再生できずに破産…ということも少なくないことから、当職も、事業再生について語る内容を多くは持ち合わせてはおりません(実績がないわけではありませんよ)。

もっとも、「再生」的な取り組みというと太陽光発電であればやっていますので、今回はそのことについて触れたいと思います。

 

地域特性を生かす

帯広市は全国的にも日照時間が長い方ですので、この地域特性を生かすべく、当事務所の屋根には4.1キロワット/時の発電能力のある太陽光発電パネルを乗せています。

日が出ていれば、概ね、日中の電力消費はすべて太陽光発電で賄うことが可能な程度には発電してくれます。もちろん、晴れていればということですが。

そして雪が積もってしまうとダメです…さすがに12月から2月までは発電が止まる日が続くことになります。ただ、元々この時期は日差しが弱いので、晴れていたとしても発電量自体は多くありません。

電気自体は日中でなくても消費しますが、年間の全消費量と比べると約40%に相当する量の発電をしています。

 

エネルギー供給の重要性

このようなシステムを導入したのも、事務所を建てる矢先に東日本大震災が発生し、至る所で電力供給が停止しているのを目の当たりにして、多少でも自前でエネルギーを供給できた方がよいと痛感したことがあります。

ちょうど、太陽光発電普及のための補助金が出たり、電気の買取金額が高く設定されていて導入しやすかったこともありました。

そんな次第で、環境問題には関心を示していませんでしたが、発電量に関わるので天気が気になる昨今です。

 

再生可能エネルギーに強い?弁護士

なお、自前で発電しているので再生可能エネルギーに関する法律問題にも強い!とアピールしてみたいところではありますが、そこは関係なさそうです。

ただ、土地が余っている北海道のことですから、太陽光発電システム自体は、家庭用だけではなく事業用のものもあちこちに設置されて各地で見かけるようにはなってきています。今後も色々と課題は出て来るのかもしれません。

 

 

2016-12-25 | カテゴリー : コラム | 投稿者 : Yoshitada Iwata

城跡と裁判所(22)犬山簡易裁判所

天守閣が現存する日本の城は12あるといわれていますが、福井の丸岡城を除けば、いずれの城のある街にも裁判所があります。

犬山城のある犬山市にも簡易裁判所があります。

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よく見かける感じの簡裁の庁舎ですが、犬山簡裁の管轄区域(犬山市・江南市・岩倉市・丹羽郡)の人口は27万人余りということですから人口は少なくはありません。

現在の裁判所は城跡の近くではなく、駅前にあります。昔はやはり城の前にあったようなのですが、今では駅から近くて便利な立地です。

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犬山城に行ってみることにします。

天守閣の建物としては大きくない気がしましたが、貴重な現存天守ということですから見るべき価値は十分にあります。この建物、ちょっと前までは当主が個人で所有していたとのことで驚きです。

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このとおり、犬山城は木曽川を背後に築城されており、いかにも要衝にあることが分かります。あいにくの曇り空の中ではありましたが、眺めの良さは十分に感じました。

 

 

インバウンド対応の課題・土地取引編

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北海道庁旧本庁舎

北海道では、外国人が土地を取得する動きに対して懸念があるように聞こえてくることがあります。

例えば、外国人の土地取得に限って狙い打つ形式というわけではありませんが、現に、水資源の保全を目的とした条例も制定されています。

 

売れない山林の処理

ところで、破産した人や会社が山林を持っているケースは結構ありますが、破産管財人になった場合、その処分に困難を来すことは少なくありません。

このような場合、買い手が付く可能性は乏しいので、しばらく様子を見てから破産財団から放棄してしまうことがあります。財団放棄された後にどこへ行ってしまうかという問題はありますが、破産管財人の職責としてはそこまでです。

しかし、たまたま破産手続中に山林売ってくれという人が現れて、それが外国人や外国資本だった場合にどうするか(そもそも容易に判明するかも疑わしい)、という問題は生じることはあるかもしれません。

破産手続中であれば、基本的には経済的な合理性で決めるしかないような気がします。債権者から一円でも多く配当できるようにやってくれ、といわれれば仕方がありません。配当が増えれば債権者は喜びますし、容易に売却ができるのに政治的信条のために売らないとなれば、善管注意義務違反を問われかねません。

 

色々な懸念

むしろ、この問題は、山林を維持する余裕が既に無くなりつつあるという、我が国の国力の低下を嘆くべき問題のように思っています。

水資源確保や安全保障という理由はもっともですが、そのような議論も、単に外国人がやってくるのが嫌だ、といっているだけに聞こえることもあります。一方で、外国人旅行客の誘致は国策として強く推進されているので、不思議な感じがしています。

うちのあたりでも、極端に排外的な言説が時折聞こえてくることもあるので、どうしたものかと思っているところです。

 

 

2016-12-21 | カテゴリー : コラム | 投稿者 : Yoshitada Iwata

インバウンド対応の課題・刑事手続編

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知床半島

日本政府観光局の推計によると、2016年は、10月末の時点で日本を訪れる外国人旅行者の数が2000万人を突破したとのことです。

昔に比べると、ビザが緩和されたり、航空路線も増えたりしていますし、更に、円安の傾向もありますから、外国人は日本を訪問しやすくなっていると思います。

 

レンタカー旅行の危険性

北海道でも外国人旅行者を見かけることは普通の光景になりました。北海道はとても良い所ですから、多くの外国人に訪れてもらうのは大変喜ばしいことです。

しかし、訪れる人が多くなるほど、色々な問題も起こります。

例えば、道東では、公共交通機関が極めて不便なので、外国人がレンタカーで移動することもあります。そうすると交通事故の発生は避けられません。

人身事故を起こすと、逮捕・勾留もあり得ます。外国人にとってみれば、異国の地で身柄を拘束される不安は相当なものです。

そして、外国人の旅行者は住所がないのが普通なので、起訴後の保釈も難しいという問題があります。保釈できないと起訴後も延々と身柄を拘束されますし、保釈ができたとしても、少なくとも判決をもらうまでは国には帰れません1

これは、外国人旅行者には大きなリスクです。

誠に残念な結論ですが、北海道では、外国人旅行者は車を運転するべきではなく、タクシーやバスの利用が推奨されます。本当は旅行は自由なのが良いのですが、敢えて、そういわざるを得ない困難さがあります2

 

弁護対応の問題

なお、私がいうのも心苦しいことではありますが、当地で外国人の関係する刑事事件が発生した場合、外国人への弁護対応について十分に体制が整っているとはいえません。

特に、当地では、外国語を理解する弁護士や通訳の人員も限られる、という問題があります。

大都市であれば、外国語対応できる弁護士もいたり、通訳もいる、ということはあるでしょうが(外国語にもよるかもしれない)、このあたりでは、外国語が要求される業務が集まりにくいので、そのような人材が増えていくことは簡単には期待できません。

 

まとめ

外国人旅行者を積極的に誘致することは、実に結構なことではあります。

ただ、それを受け入れる社会の仕組みは、今ひとつ追い付いていないように感じられます。それは、例えば、交通事故のような予期せざる事象が生じたときに、より強く感じざるを得ないといった昨今です。

 

 


  1. 近時、外国人旅行者の交通事故の事案について、保釈の許可を得られたということはあった(なお、全く経験のないケースであったため、こちらの情報を参考にさせていただいた。)。ただ、これは当地の同胞による支援があったからこそ何とかなったというもので、特殊なケースであろう。一般的には、外国人旅行者の保釈は様々なハードルがあるように感じられた次第である。 

  2. 交通事故のリスクは内地の日本人だって同じではないかという指摘もあるだろうが、捕まったときに言葉が通じるか通じないかは極めて大きな差があるし、起訴後の保釈が認められる可能性もかなり違うと思われる。